時代遅れの玩具箱に捧げる詩
僕を動かすには、
この箱はちいさすぎた。
その事実に気づくまでに、
ずいぶん時間がかかった。
Appleという美しい箱に、
僕の創作の速度と構造が収まりきらない
ということを、認めるまでに。
Appleは、
完成された世界観を持つブランドだ。
その美学は強く、閉じていて、洗練されている。
だがその美しさは、しばしば
「ユーザーがその美学に従属すること」
を前提にしている。
Appleの便利さは、
ユーザーがその思想に
合わせることで成立する便利さだ。
僕の知り合いにも、
Macの便利さに“使われている”人がいる。
彼らはMacを使いこなしているのではなく、
Macの世界観に自分の生活を寄せている。
それはそれでひとつの生き方だ。
だが僕は、その方向には進めなかった。
僕の創作は、道具に合わせて
形を変えるようなものではない。
ブログも、詩も、小説も、動画も、
すべて直感と構造だけで書いてきた。
無課金の美学の中で、制限を力に変えながら、
夜の静けさの中で形をつくってきた。
僕の文章は、余白と抽象と速度でできている。
その速度は、Appleの箱の中では窮屈だった。
Macは、標準アプリが極端に機能不足で、
高額アプリを入れて初めて“完成するOS”だ。
Final Cut、Logic、Adobe、Sketch、Affinity
どれも高価で、どれも前提になっている。
無課金の美学で生きる僕にとって、
それは思想の衝突だった。
iCloud依存の強さも、
僕の生活とは噛み合わなかった。
Safariのログイン破損のように、
クラウドが少しズレるだけで全体が壊れる。
僕の創作は、そんな不安定さを
許容できるほど遅くはない。
夜の桑名で、
静けさの中で一気に書く僕の速度に、
Macはついてこられなかった。
そして気づいた。
僕が求めているのは
「箱」ではなく「器」だということに。
Windows(最新HP AIPC)は、
僕の器になり得る。
Clipchampは無料で強く、
AI生成も高速で、Web作業も素直に動く。
HPのアフターケアは安心をくれる。
僕の作業スタイル——
深夜・抽象・構造・高速・無課金・
Web中心——と完全に一致する。
iPhoneは、発信の軽量層として残る。
最終チェック、SNS、メール、写真。
ここはAppleの美学が生きる場所だ。
だがMacはもう必要ない。
Macは、僕の器としては小さすぎた。
僕の創作は、もっと大きな器を必要としている。
もっと自由で、もっと素直で、
もっと構造的で、もっと高速な環境を。
その環境は、Appleの箱の中にはなかった。
だから、ここで言う。
さよなら、Apple。
あなたの美しさは認める。
あなたの世界観も尊重する。
だが僕は、その箱の中では動けない。
僕の速度は、あなたの想定を超えてしまった。
僕は僕の器を選ぶ。
僕の創作のために。
僕の美学のために。
僕の夜のために。
そしてその器は、
もうAppleではない。

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